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| は じ め に |
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人生の楽しみは古今東西いろいろありますが、日本の男の場合には昔から言われてきたのが<飲む、打つ、買う>という言葉です。
<飲む>とは、いわゆるお酒です。私の場合は、慶応大学経済学部を卒業しそのまま寺尾誠教授研究室に残りましたので、週4回三田キャンパスに通いほぼ連日先生方とお酒を飲んでいました。場所は三田、銀座、横浜、浅草、向島などが多かったですが、いつも先輩や後輩や教え子達と連れ立ってでした。週のうち半分以上は外で飲酒をしている生活でしたから典型的な深夜型ライフスタイルでした。
それが38歳の時ワシントン大学に留学し、それからアメリカで暮らすようになって以来、生活時間帯が一変しました。アメリカの大学社会では、同僚や教え子とも夜も酒場に繰り出すという文化がほとんどないのです。私は元々お酒がそれほど好きでないせいか、一人で酒場に行くということは日本でも決してありませんでしたが、アメリカでは尚更そうです。
近年は夕食時に、次男の慶と缶ビール一本を分け合う程度です。それも週に数回ですから、日本で暮らしていた頃の酒量と比べれば各段に減り、健康的な生活です。生活時間帯も朝型に変わって、早朝5時に目が覚めて、夜は10時前にベッドに入り、1 - 2時間読書して眠ってしまう極めて規則正しいライフスタイルです。
<打つ>というのは、「ばくちを打つ」からきているのでしょうが、私には馴染のない世界でした。子供の頃からトランプや将棋にしろ、からっきし弱かったので、勝負事には向かない性格と自覚していました。ですから学生時代において誰もがしていたマージャンすらも、意識して覚えようとしませんでした。
株式や商品相場というのも経済学の教師になってから、実際の取引はどのように行われるのか知るために試した程度でした。この夏、長男潤のシアトルでの結婚式に参列する為に横浜からやって来てくれた弟の宏と甥の一宏君を案内して、ラスベガス・グランドキャニオンを案内しました。
弟は私と異なり勝負事に強い性質であり、株式投資もプロ級の腕です。ラスベガスでギャンブル体験をしてみたいということで案内しました。$50だけチップを購入してルーレットなどをやっていましたが、なかなか上手にやっていました。側で見ている私にもチップを分けてくれましたので、私も初めてやってみましたが瞬く間に終わってしまいました。やはり私には賭け事は向かないようです。 < 買う > というのは、昔の「女郎を買う」などに由来しているのでしょう。私の学生時代には、売春防止法が成立して久しく、赤線などの公娼制度が廃止されており、それに代わるものが当時トルコ風呂と呼ばれるものでしたが、今はそれがソープランドと名称が変わりました。 |
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日本の群馬藤岡での着物スタイルでの潤とマウラ |
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高校時代の友人達は、異性関係に強く関心を示す人達とそこまで至らないグループに大別できました。要するに早生(わせ)と晩生(おくて)ですが、女性関係ではO君が、また肉体関係ではN君が先頭を走っていました。A君、U君、そして私は、肉体関係において数周遅れの走者のようでした。
成人の日を過ぎた頃、N君がトルコ風呂に私を連れて行ってくれました。入念な事前授業を受け個室に入りましたが、小さなハッピを掛けたお姐さんの豊かなバストが左右半分ずつ、たわわに揺れるのが目に飛び込んできました。それに刺激されたのか、直ぐに昇天してしまいました。お姐さんいわく「はい、お疲れ様5000円ネ!」
トルコ風呂に入って、女性の手すら触れることもなくわずか1分余りで終了してしまいました。このように恥ずかしくも悔しい体験をしましたので、リベンジの念に燃え不随意筋である男の股間を随意筋のようにして鍛えたいと思い立ちました。一ヵ月後、今度は1人で出かけ、女性の裸体を見ても、あるいは触れても自ら昇天することなくコントロールできるようにという目的を達成して来ました。それきりそういう<買う>という世界からは遠ざかってしまいました。
<飲む、打つ、買う>というのは、男が10人集まれば、10以上の体験があるのであって千差万別です。ただし私にとっては、それらはさして人生の楽しみにはなりませんでしたが、それは上に述べたような体験をしてきたからかもしれません。むしろ、私には<子供を育てる>というのが、大きな人生の楽しみでもありました。
長男の潤、次男の慶、娘の舞という2学年違いの二男一女を育ててきましたが、楽しかった思い出ばかりです。それぞれ小学校5年、3年、 1 年の時に日本からアメリカに移り、それ以来彼らはすっかりアメリカ的な生活スタイルに馴染んでしまいました。今では学校を卒業し、就職し、結婚相手を見つけ、それぞれ経済的にはすっかり自立しました。 今年の夏には、長男の潤が日本での6年に及ぶ滞在を切り上げ、シアトルに戻り、ワシントン大学以来からのガールフレンドであるマウラと8月21日、シアトルの植物園で結婚式を挙げました。 |
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結婚式前の記念写真撮影に納まる潤とマウラ 8/21/05 |
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潤とマウラは、横浜の山下公園そばの弟が所有するマンションに既に一緒に住み暮らしていました。アメリカの結婚スタイルは、まずは一緒に住み暮らして、お互いの相性を確認してから結婚式を挙げるというのが大半のようです。ですから日本の伝統的な結婚してから一緒に住み始めるという新婚生活というイメージとはだいぶ異なります。
それは歴史的背景や社会的慣習により、日本とアメリカの結婚観の相違が出てくるのでしょうが、二人の愛情確認のうえに成り立つ新しい出発であることには、なんら変わりありません。
この二人の新しい旅立ちを祝し、「潤の生誕1977から、結婚2005まで」を新たに編集し、『情愛の精神<シアトルライフ2>』にまとめ、これを二人に捧げることにしました。
「情愛の精神」は本文第1章#56に収録している「浦野氏からの情愛の濃い手紙」から抜粋させてもらいました。それには、次のような文面を引用させてもらいました。
「富浦の小舎を我家族、孫たち、若林先生家族に使ってもらいたいなーと思いながら、小さな小さなエデンの園つくりをめざして、 こつこつと永遠の味方としてガンバッテおります」(傍線筆者)
私にとって浦野利雄氏は、30年余り変わること無く慈悲の気持ちを注いでくれている慈父なのです。そして、それが御子息の芳正君にも受け継がれています。それと同じように私も子供達には、情愛を注いできましたし、世界のどこででも生きていける知性と精神力を育んで来たつもりです。それでも「こつこつと永遠の味方としてガンバッテおります」というほど、言葉と行動が一致する励ましは見当たりません。私も子供達にとって、<永遠の味方としての慈父>でありたいと念じています。 |
| 2005年9月15日 レドモンドの自宅にて
若林 茂 |
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